西郷隆盛蘇生の家


国道10号線 仙巌園(磯庭園)より
姶良町方面へ約1km 花倉という地点
 (鹿児島市吉野町9798-1)
西郷隆盛が幕末の勤王僧月照と相抱いて入水し、西郷だけが息を吹き返し蘇生した家である。
尚古集成館前から日豊本線に沿って、国道10号線を北へ約一キロメートル行くと、左手線路わきに小さなわらぶきの家がある。 これが西郷隆盛蘇生の家だ。西郷は、京都清水寺成就院の、住職月照といっしょに死のうとして鹿児島湾にとびこみ、西郷だけ助かった。 1858年(安政五年)冬のことである。
安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出する。そして薩摩藩に逃れたが、藩では厄介者である月照の保護を拒否し、日向国送りを命じる。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬り捨てるというものであった。このため、月照も死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に入水自殺した。