明治十九年五月
正六位勲四等 秋月新太郎 撰併書
明治十年の役,賊、肥薩の野に連敗し、窘蹙、路を日向に取り、豊後の南境に出ず。官兵八隊之を撃つ。
其の用兵の地は概ね皆険峰深谷にして大青老樹相間つ。故を以って攻守進退意の如くなる能わざるなり。
八隊の士卒戦死する者百八十余人、賊、遂に其勢を失い以って潜滅せらるるに至れり。
嗚呼、死者の功は永く山川と与に朽ちざるなり。其の隊号、姓名は則墓けつの記す所の如し。
頃の埋骨の処、佐伯村岡の谷に就き碑を建て之を表す。余に銘を徴す、余の旧籍は佐伯なるを以て、宣として辞す可からざる也、銘に曰く。
豊日の界、賊徒猖けつす。官軍防戦し、電撃電掣す。
敵王の愾は、争うて鮮血をふみ、死を視ること帰するが如し。
何ぞ其の壮烈なる。洵に美しき岡の谷、爰に忠骨を埋む。
生気千載、凛乎として滅せず。