幼年学校趾跡


鹿児島市照国町 照国神社の境内
(島津斉彬公之像の真向かい)
後方にある駐車場は「戊辰駐車場」
説明文より
「幼年学校(賞典学校)趾
 明治7年(1874)6月、西郷隆盛はこのあたり一帯に仕官養成のための幼年学校をつくりました。この学校は西郷隆盛、桐野利秋、大山綱良らの明治維新の功績に対する賞典録10万石をもとにつくられたもので賞典学校とも呼ばれました。
 篠原国幹監督のもとに漢学を教えた久木田泰蔵、洋学を教えた元大学南校(現東京大学全身)教師の深見有常、外人教師シケーベル(オランダ人)コップス(イギリス人)らの講師が教育にあたりました。この学校では、外国留学の制度を設けて、明治8年に木尾満次、救仁郷哲志、日高正雄3名を、翌9年には、野津伝之丞、柏原正一郎の2名を留学させました。また、庄内(山形県鶴岡地方からの2少年(伴兼之、榊原正治)もこの学校に学びました。」