有栖川征討総督宮殿下御本営跡


日向市大字細島700番地
(細島小学校の正門前)
明治10年7月14日から、8月20日にかけては、江戸時代からの伝統をもつ老舗「摂津屋」に官軍の征討本営が置かれ、旧四親王家のひとつであった有栖川宮熾仁親王が滞在されている。
摂津屋は、当時の面影を伝える重厚な厨子二階・平入の建物で、商業関係の古文書を数多く残しており、親王の揮毫による「凛冽萬古存」の扁額や、愛用の高下駄、「征討本営」の看板なども保存している。
明治10年の西南戦争では、本市をはじめ県北地域の各地で大激戦が展開された。西郷軍は富高新町(現在の中町、本町、南町付近)や美々津に部隊を置いて官軍と戦っていたが、相次ぐ敗戦によって、門川、延岡方面へと敗走していった。当時の細島は官軍の拠点となっており、軍艦が入港し、兵隊を上陸させていた。有栖川征討総督は摂津屋善兵衛宅を「征討総督本営」とし、一ヶ月ほど滞在、西郷軍鎮圧の総指揮にあたった。