宮崎市広島1丁目3-23
現在;宮崎カトリック教会
西郷は池上四郎に護衛され、5月31日、桐野利秋が新たな根拠地としていた軍務所(もと宮崎支庁舎)に着いた。ここが新たな本営となった。この軍務所では、桐野の指示で、薩軍の財政を立て直すための大量の軍票(西郷札)がつくられた。
8月1日、薩軍が佐土原で敗れたので、政府軍は宮崎を占領した。 宮崎から退却した西郷は、2日、延岡大貫村に着き、ここに9日まで滞在した。この間約2ヶ月余滞在した。
西郷札について
西郷札とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる薩軍によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。通用期間三年の不換紙幣であった。十円・五円・一円・五十銭・二十銭・十銭の六種が存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。
西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。