光徳寺;八代駅より西へ1km行った出町の交差点にある
明治10年3月19日、高島鞆之助大佐率いる別働第二旅団(のち第一旅団)の一部は須口(現二見洲口)に上陸し、鳩山に陣取る薩摩軍と戦った。これが衝背軍の最初の戦いである。高島大佐らは海路八代に上陸し、ここ光徳寺を本陣とした。以後、衝背軍は日奈久、八代から数次に亘り上陸して、八代郡下に侵入した薩摩軍と戦いつつ北上し、この本陣は4月1日に松橋に移るまで存在したようである。衝背軍総指揮の黒田清隆参軍、大山巌別働第5旅団長、山縣有朋参軍も八代に滞在している。