宇蘇浦官軍墓地



宇蘇浦官軍墓地は、玉東町木葉小学校の西側に位置する。徳成寺東側の道を北へ進み、斜面を登りつめた処。高月官軍墓地とともに昭和52年に県指定の重要文化財となっている。
 西南戦争における官軍将兵および抜刀隊で活躍した警視等戦死者 (田原坂、横平山などでの戦死者)334人と軍夫13人が葬ってある。
 土佐の吉松秀枝少佐や兵士の鏡といわれた谷村計介伍長の墓もある。
抜刀隊について
 歴史上有名なのは明治10年の西南戦争における警視庁巡査抜刀隊がある。
 当初西郷軍が示現流で鳴らした斬り込み隊「抜刀隊」を編成し近代装備の政府軍を圧倒していた。明治を代表する将軍乃木希典大将も当時少佐として小倉連隊を率いて参戦していたが、西郷軍の村田三助の指揮する抜刀隊に攻め込まれ軍旗を喪失している。この西郷軍の抜刀隊に手を焼いた政府軍は士族出身兵を集めた五十名から成る抜刀隊を三月九日に横平山に投入、激しい斬り込みを敢行し奪取するも隊は壊滅。
 三月十三日南関・征討軍本営では、警視隊三百名から選抜された百名により警視・抜刀隊が結成され、さらに東京警視庁で選抜された警部・巡査約九百名が、司令官・大浦兼武のもと、警視庁巡査抜刀隊として田原坂に到着した。巡査抜刀隊には多くの旧会津藩士が戊辰の仇を晴らそうと参加していた。

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