西南の役山鹿口の戦い 薩軍本陣の跡
山鹿市;山鹿ホテルの入口
西郷隆盛は、福岡方面から南下してくる政府軍を阻止するため、山鹿を重要な戦略拠点とし、豪将桐野利秋率いる四番大隊を山鹿に差し向け、本陣を敷いた。薩軍が山鹿に入ってきたのは同年二月二十五日。それから数回にわたる激戦を経て、三月二十日に田原坂が落ちるまでの二十四日間、ここが作戦基地となった。本陣は梅の井旅館(山鹿ホテルの西隣)に置かれ、桐野利秋は戦いの前半、ここにいた、とある。(説明板より)
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