第十四連隊旗手 河原林雄太少尉戦死の地


旧豊前街道の植木天満宮より向坂の警察機動隊の建物に向かって進むこと約500m右手
 碑文より。明治十年二月二十二日、この植木町向坂が官薩両軍の城北における緒戦の地となった。すなわち熊本城籠城軍に加わる為、小倉より南下した第十四連隊(連隊長代理乃木少佐)は夕刻植木町に入り散歩線を敷いた。一方熊本城を包囲した薩軍はその一部(村田三介隊)が北上激突した。その後十四連隊は植木町千本桜に後退したが、その際連隊旗手河原林少尉は本道の殿軍に加わり戦死、連隊旗は薩将村田三介の手に渡った。乃木少佐がこの時の責任を感じ死を決意したことは明治天皇への殉死の遺言にも明記されている通りである。乃木少佐は連隊旗奪回を念じ、その後常に第一線立って戦い名将への道をあゆんで行った。この地が連隊旗手河原林少尉が村田隊兵士岩切正九郎に切られたと伝えられる茶畑付近である。