花岡山の中腹
「明治十年の西南の役に際し、同年2月20日陸路熊本隊の川尻に薩軍は、その後熊本城を攻撃すべく城下近くへ兵を進めました。2月22日朝、西南の役最初の戦いとなる熊本城攻防戦が始まり、ここに明治政府に対する不平士族の最後の内戦であり、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた戦いの火蓋が切って落とされました。この地は、52日間に及ぶ熊本城攻防戦の際、薩軍が熊本城攻撃のため大砲を引き上げて城を砲撃した場所として知られています。大砲の弾は熊本城までとどかず、途中の新町や段山付近に落ちたとも言われています。」とある。(説明文より)
川尻町に到着した薩軍は、次に二本木に本営をおいた。二本木からさらに北岡神社に本営を置き、攻撃の場所を花岡山と決めた。