西南之役慰霊碑と辺見十郎太・池辺吉十郎奮戦之碑


高熊山山頂
高熊山の戦いについて
 4月15日、薩軍が熊本城の包囲を解除し、人吉に撤退して巻き返しを計ります。さらに各地に隊を派遣し、南下する官軍を阻止します。肥薩国境の守備を任された薩軍の一隊は、大口に進出した官軍を撃破するべくこの山の北にある牛尾川で戦いましたが、敗走します。
 そこで薩軍本営は5月9日、猛将・辺見十郎太に多数の兵を与え、官軍を駆逐するよう命じました。辺見は薩摩兵児の典型のような男です。小生が持っている本に彼の写真があるですが、両手に大刀を持ち、鼻髭が逞しく、目は自信に溢れています。
 辺見が到着すると、薩兵は奮い立ち連戦連勝。官軍を撃破し、さらに水俣に進出しました。しかし、弾薬不足から徐々に後退し6月13日、大口に追い返されました。
 大口に引き返した薩軍は、高熊山に陣を構えて巻き返しを計ります。6月19日、別働第二旅団、別働第三旅団が高熊山の攻撃を開始。党薩隊の熊本隊、協同隊と共に死力を奮い防戦しましたが、6月20日に陥落。菱刈方面へ敗走しました。池辺は熊本隊隊長、辺見は薩軍一の猛将です。