薩軍野戦病院・戦没者埋葬地


延寿寺;熊本市川尻5丁目5番1号
西南役と延寿寺
明治10年2月西南役が起こり薩軍は川尻に大本営を設け、熊本城を中心に大激戦となった。延寿寺は野戦病院となり薩軍の傷病者70名が収容された。薩軍の戦死者や戦傷者が川尻にどしどし運ばれて来て、各寺院に戦死者の埋葬をお願いしたが、後難を恐れて引き受けようという寺院はなかった。その時 延寿寺の住職伝弘応は28歳の青年僧で、戦後どのようなお咎めがあろうとも死を覚悟して言い開きをしようと決心し、寺領の一部を提供し、戦死者、戦傷歿者の姓名、場所、年月日を一人一人記録し丁重に埋葬し、読経、回向を修めたのが約860名に及んだ。そこを薩州墓と呼んだ。その後鹿児島、宮崎の遺族によって遺骨は郷里に持ち帰られた。大正5年2月薩州墓の遺骨を収集し延壽寺の境内に西南役薩軍戦歿者墓碑を建立し毎年4月慰霊祭を行っている。大正5年以来一度も休むことなく平成11年で84回を迎えた。