人吉市土手町5
明治10年、田原坂で敗れた西郷隆盛は八代より当地に逃れ、古くより要害の地である人吉によって官軍を防ごうとした。当時、すでに繊月城(人吉城)は取り壊されていたので、当永国寺に本営を設け、桐野利秋ら参謀諸将が日夜、策を練った。4月27日に人吉へきてより33日間、官軍を防いだがついに5月29日、西郷隆盛は加久藤峠を越え小林へ逃れた。その時に、当寺もことごとく灰燼に帰した。寺宝等もあらかた燃えてしまったが、その時に焼け残った一つが当寺の幽霊の掛軸である。この碑は、西郷本陣跡を記念して海軍大将山本善輔が揮毫したものである。