人吉城


人吉城は熊本県人吉市麓町にある平山城跡。相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。明治10年に西郷隆盛が引き起こした西南戦争では、人吉城は薩摩軍の根拠地となったためほとんどが破壊され、石垣だけが残るのみとなった。
4月28日、薩軍が九州山脈を越えて人吉に到着。人吉を拠点とし、各地に隊を派遣して巻き返しを計る。その間、人吉城は弾薬製造所になった。 説明文によると、一日2,000発余の弾薬を製造し、戦備を整えていたと。しかし、各地で官軍との戦いに敗れ、勢いに乗る官軍は人吉市街に進出。6月1日、官軍に応戦すべく党薩諸隊である人吉隊が三の丸に砲兵を引き、官軍砲座がある村山を砲撃したが、砲弾は射程距離が足らず届かなかったと。
一方、官軍が放った大砲は全て命中し薩軍は撤退したそうだ。人吉隊は総長・神瀬鹿三が率いた隊である。薩軍と共に各地で転戦したが、6月4日新宮簡の帰順勧告を受け降服した。
この時期になると薩軍の間でも降服する者、逃亡する者が続出し、次第に追い詰められていった。もはや大義名分は無く、戦う意味が分からなくなっている感が否めない。しかし、その後も戦場を移し、各地で悲劇が繰り返されていく。