西郷隆盛宿陣跡資料館 館内


可愛嶽突破の軍議を再現した場面
 8月15日、和田越の決戦に敗れた薩軍は長井村に包囲され、俵野の児玉熊四郎宅に本営を置いた。翌16日、軍議を開き、最終的に西郷が解軍を決意し令を出した。
『我軍の窮迫、此に至る。今日の策は、唯、一死を奮って決戦するにあるのみ。此際、諸隊にして、降らんと欲するものは降り、死せんと欲する者は死し、士の卒となり、卒の士となる、唯、其の欲する所に任ぜよ。』
 これより降伏するもの相次ぎ、精鋭のみ 1,000名程が残った。一度は決戦と決したが、再起を期すものもあり、選択に迫られた薩軍首脳は8月17日午後4時、官軍の長井包囲網を脱するため、遂に可愛岳突囲を決意した。