増田宗太郎墓


増田 宋太郎(嘉永2年2月23日(1849年3月17日) - 明治10年(1877年)9月)は、中津藩下士増田久行の嫡男。母は九州国学の三大家の一人、渡辺重名(しげな)の娘。父は福沢百助の妻のいとこ。
 西南戦争に薩軍側として従軍、中津隊を率いた。和田峠の戦いで敗れた後、西郷が解軍の令を出し、故郷へ帰る隊もある中、西郷に付き従った。司馬遼太郎も著書で引用した「1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある」とは増田の言葉である。最後は城山の戦いで戦死したとも捕えられて斬首されたともいう。