西南の役 延岡隊最後の奮戦地跡碑


延岡市野田町
野田神社の入口の左手、道路に面した所。
延岡隊は開戦序盤に熊本の沿岸部を守備し、さらに4月20日の城東会戦時には木山(益城町)へ通じる要所である健軍を守り、官軍の圧倒的な火力の前に奮戦し、多くの死傷者を出した。人吉に撤退後は、鏡山、高千穂、綱の瀬川方面に従軍し、さらに日向灘の警備や豊後口の守備など縦横無尽の活躍をみせた。 各地で薩軍が敗れ、ついに官軍が彼らの地元である延岡に進出してきた。 以下、説明文には、「8月13日松山の松尾城にて一夜を明かした。翌14日早朝、岩鼻から船で渡り、西に向かい野田に達し、川を挟んで官軍と応戦した」と、さらに「やがて薩軍が和田越方面に走ったと知り今はこれまでと延岡隊40余名は官軍に降服を申し入れ、武装解除の上収容された」と。
延岡隊の戦死者は総数78人、負傷者は90人という。