贈正五位桐野利秋君誕生之地碑


鹿児島市吉田町
 市街地より薩摩吉田IC方面への県道16号線上の大明ケ丘団地入口交差点より左折し約500m程行った実方神社付近。
天保9年(1838年)12月、鹿児島郡吉野村字実方で城下士の中村与右衛門(桐野兼秋)の第三子として生まれる。諱は利秋、通称ははじめ半次郎、桐野姓に復姓してからは信作。初め中村半次郎と称し、明治になってからは旧姓にもどって桐野利秋と称した。
天資豪邁で粗略があり、武芸に長じた。文久2年島津久光に従って入京し、朝彦親王の守衛となり、他藩の志士と交わり、元冶元年禁門の変には大いに戦い、これより西郷隆盛に認められるようになった。
 明治10年西南戦争が勃発すると、四番大隊長となって熊本城に向い総指揮長となって軍事で指揮したが、各地で敗戦を重ね、兵士も激減(およそ300~400)した。西郷と共に鹿児島に帰り、薩軍は政府軍の包囲を突破して城山に拠るが、9月24日官軍が城山への総攻撃を開始し、主だった幹部が戦死もしくは自刃した。桐野も城山の岩崎谷で頬を打ち抜かれて戦死した。