田原坂官攻撃軍第一線の碑


玉東町境木;国道208号線沿い
境木バス前(産交バス)
 この史跡から細い道が東に伸びている。この道が西南戦争当時のままの高瀬往還である。荷車が通れるほどの道だが、当時のもっとも広い道であり、大砲や補給物資を運びながら熊本へ向かうにはここしかなかった。そのためには、ここから豊岡の眼鏡橋を渡り、田原坂を登らなければなかった。
 勇んで坂をめがけて駆け去った兵は、やがて傷つき命からがらここにたどりついた。特に3月4日から3月20日までの17日間、田原坂と二俣台地では激しい戦いが繰り返されている。