明徳官軍墓地



所在地;植木町向坂熊本県警機動隊のバイク訓練所前
(河原林少尉の戦死の地より南へ約500m)
西南の役で戦死した官軍の墓で、合計123基の墓碑がある。
明治10年3月16日の植木町向坂の戦で戦死した将兵92名の墓碑が中心である。
被葬者の出身地
熊本7・長崎5・福岡5・大分2・山口5・広島1・岡山5・島根13・愛媛4・高知3・大阪1・兵庫5・京都5・和歌山7・三重7・愛知3・岐阜3・長野4・石川11・新潟3・神奈川5・東京3・埼玉4・群馬1・栃木3・千葉1・福島3・山形3・不明1 計123(説明板より)
 明治10年の西南戦争では、田原坂の激戦等が有名であるが、最前線と熊本城の中間に位置する旧北部町内も重要な地点であった。この地で戦闘が交えられたのは、向坂における2月22日と3月20日の2回がある。戦闘期間中、町内では254戸の家と204の小屋が焼かれ、戦いにまきこまれて死傷した人も有り、民間の損害も少なくなかった。明徳官軍墓地は向坂バス停から東に入った旧道沿いにあり、将兵軍夫123柱の墓石が並ぶ。主に3月20日の向坂の戦いの戦死者の墓である。墓石は北を正面とし、頭のとがった四角柱で、その総高は士官124cm、下士官87cm、兵卆70cm、軍夫40.5cmを測る。