熊本隊本営跡


県道31号線(鈴麦線)沿いの植木町辺田野
 ここ辺田野には、西南戦争時、薩軍および熊本隊の出張本営や薩軍病院がおかれていた。この地は田原坂・横平山・二俣・半高山・吉次峠を結ぶ激戦地の南側になり、薩軍にとっては重要な位置であった。
熊本隊本営跡を通れば、木留から吉次峠への道となる。ここは、熊本城を救おうと進軍する官軍を阻止するのに絶好の場所であった。
 熊本隊とは池辺吉十郎を隊長とする組織で、約1,500人余が薩軍とともに戦っている。現在の済々黌高校の前身・同心学舎を創立した佐々友房も熊本隊だ。佐々友房はこの本営の北にある吉次峠を守り、薩軍に負けるとも劣らぬ戦闘を繰り返し、薩軍内にその名が轟いたと言う。
 薩南血涙史に、「桐野利秋は山鹿にあり、篠原国幹は田原にあり、村田新八および別府晋介は木留にあり、各々当該方面の指令権を把握しともに《出張本営》を設け独立して作戦を計画せり。而して熊本隊もまた木留に置けり。4月1日この日薩軍木留本営を萬樂寺村に移つせり」とある。