協同隊士・三人野満顕彰の碑


山鹿市古閑;山鹿市墓地公園内
碑文より
「長太郎は…協同隊は薩軍とともに山鹿を占拠すると、民権政治を実現せんとし、山鹿に民生を布いた。長太郎は選ばれて民生長官となり、衆の心服するところとなった。協同隊の幹部として薩軍とともに各地に転戦したが八月十五日、薩軍の解体宣言によって降伏し投獄された。二年余にして放免され爾来郷党の指導者として…」
「…明治十年二月、薩軍起や、一同集まって参戦の是非を協議した。二月二十二日熊本城総攻撃始まるや安親、富記の兄弟はまっさきに城壁にとりつき奮戦、兄弟互いにその名を連呼しつつ弾丸雨注の中に死んだ。…」