薩軍野戦病院跡



清瀧山光専寺
 山鹿温泉交差点より旧豊前街道を南へ約300m行った処
碑文より
…山鹿は重要な拠点であったので、薩軍は桐野利秋が総帥として、最強の四番大隊を主軸とする軍団と熊本協同隊および飫肥隊を率いて攻勢防御の体制をとった。 それに対して官軍は三浦梧櫻の率いる第三旅団であった。 二月二十六日から三月二十一日までに両軍相会戦すること5回。…
…その間官軍の戦死者は三二五名、薩軍の戦死者は二百数十名であった。…
…この寺は開戦頭初は薩軍の兵站基地であったが、後、野戦病院に使用された。…
…叉、合戦中、山鹿の町に熊本協同隊の有志によって民権体制がしかれた時、この寺は民権長官となった野満長太郎の檀那寺あったため、彼は寺の一室を借りて同志の会合を行ったと云う事である。…」