谷千城銅像


熊本市千葉城町(高橋公園内)
熊本城を囲むように流れる坪井川沿い、千葉城橋と厩橋の間に位置する高橋公園内にある銅像。天保8年(1837年)、土佐藩に生まれた谷干城は、明治10年(1877年)の西南戦争で、政府軍の熊本鎮台司令長官として少数の兵とともに籠城。52日間にわたる薩軍の猛攻に耐えたことで名を馳せた。以前は熊本城内の天守閣南側にありまったが、熊本城本丸御殿の復元に伴い、高橋公園に移設された。
谷千城略歴
 高知県高岡郡窪川村(現在の窪川町)に生まれた。谷秦山は先祖にあたる。若くして江戸に遊学し、若山勿堂、安積艮斎、安井息軒に学ぶ。文久元年帰国の途中、武市瑞山と会談。翌年藩校致道館助教。戊辰の役には藩兵大軍監として活躍。維新後藩政改革に参画したが、板垣退助との意見対立から離れ、陸軍にはいり、明治5年陸軍少将、熊本鎮台司令長官。西南の役には熊本城に籠城し、西郷軍の攻撃から守り抜き、戦局を有利に導いた。明治11年陸軍中将。第1次伊藤内閣の農商務相、学習院院長。貴族院議員などを勤めた。