薩軍村田三介戦死之地


山鹿市;「古墳の森公園」前
 村田三介は向坂の戦いで乃木第十四連隊を撃破、その後山鹿方面へ従軍。
3月12日の鍋田戦闘で、官軍の銃撃により戦死した。
碑文より
 「…明治十年の西南の役には五番大隊二番小隊長となって熊本に向かい、二月二十二日の植木の戦いにては大いに奮戦して、乃木少佐の率いる政府軍を破り小倉第十四連隊の軍旗を取得した。
その後、四番大隊長桐野利秋の旗下に入って山鹿口の戦場に向かった。 山鹿口の戦いは田原坂の戦と並んで西南の役では最も激戦であったが、その主戦場は鍋田台地であった。彼はその中で最も重要な拠点を守り、しばしば奇捷を制した。然し、三月十二日の激戦で味方の先頭に立って敵陣をおそうべく、この西の低地を流るる小谷川を渡ろうとしたところ、敵兵の狙撃にあって戦死をとげた。…」