篠原国幹誕生之地


鹿児島中央高校南側(鹿児島市加治屋町10番1号)
 薩摩国鹿児島城下平之馬場町中小路で篠原善兵衛の子として生まれる。諱(名)は国幹、通称は藤十郎、冬一郎という。少年時代に藩校・造士館に入って和漢学を修め、ついで藩校の句読師となり、長じてからも和漢の典籍を読むことを好んだ。剣術ははじめ薬丸兼義に薬丸自顕流を、次いで和田源太兵衛に常陸流を学んだ。また馬術・鎗術・弓術も極め、文武両道を兼ねていた。
 篠原は戦闘部隊を指揮する場合でも大声を発せず身振りだけで指揮したといわれる。