西南戦争薩軍山田宗賢墓


三国峠第二塁跡
薩軍は竹田が陥落した後、小野市まで退却します。その後、三重市を奪回するために三国峠、旗返峠、梅津越を占領して行動を開始します。三重市で官軍と激戦を繰り広げましたが失敗し、各峠に布陣して守りを固めました。
以後、6月12日からこの峠一隊で攻防戦が続き、多くの死傷者を出しました。戦況は一進一退でしたが、14日に梅津越が陥落すると均衡が崩れていきます。17日、この三国峠に構えていた薩兵は連日の激戦により寝静まっていました。官軍はその隙を逃しません。音を立てずに薩軍陣地に近づき突撃を開始、薩軍は寝込みを襲われて陣を守ることが出来ず小野市、重岡方面へ敗走していきました。旗返峠に守っていた薩兵も三国峠の陥落により撤退・・・豊後口進出の目標が潰えた。