繁根木八幡宮


玉名市繁根木188 玉名市役所の裏手
この神社は、応和元年(961年)、大野別府(荘)の地頭紀(大野)隆村が、荘園の本家である石清水八幡宮の分霊を勧請【かんじょう】して大野荘250町歩(250ha)の総鎮守としたと伝えられている。
なお、領家は福岡の筥崎八幡宮である。
西南戦争時には官軍の本営が置かれ、薩軍と対戦し多くの兵士があふれた。
石垣には今も弾痕が残っている。
南関町の正勝寺にあった大本営は、やがて高瀬に移った。 高瀬の戦いが終わり、さらに田原坂の戦いが終わった3月23日から4月17日の間、玉名に大本営があった。玉名市高瀬でも激しい戦闘が行われた。田原坂・吉次峠山鹿等から北進した薩軍は、桐野を隊長とする600名、篠原と別府を隊長とする1,200名、村田を隊長とする1,000名が高瀬に迫った。2月27日に本格的な戦いになったので、この周辺も弾丸が飛び交ったと云う。