西郷小兵衛戦死の地



繁根木川のほとり;高瀬大橋から南に進み、JR鉄橋の下を通り、道の右奥。
ここで西郷隆盛の末弟・西郷小兵衛は、官軍の銃弾を胸に受け、31才の若さで壮烈なる戦死を遂げた。
菊池川支流・繁根木(はねぎ)川の堤防。ここの戦いで西郷隆盛の末弟・西郷小兵衛は敵の弾を胸に受け戦死した。
小兵衛は薩軍総大将の弟でありながら小隊長として最前線で軍を指揮。ここでも旗を振り指揮したという。
小兵衛は寡黙で思慮深く兄の隆盛を慕い、隆盛も歳の離れた弟を愛し、いつも自分の近に置いていたという。享年31歳。訃報を聞いた隆盛は暫く呆然として悲嘆にくれたという。一説によると隆盛自ら遺体を引き取りに赴いたともいわれている。
玉名市の中心街・高瀬。菊池川下流の交通の要衝である。西南戦争では薩軍・政府軍両軍主力が最初に激突した。27日の戦いが最大の激戦となり、薩軍は政府軍を三面から激しく攻めたが、一歩及ばず政府軍が撃退した。
この戦いで両軍合わせて約7,000人の兵が動員され、高瀬の街も約3分の1の家屋が戦火で焼かれたと云われている。

碑の 正 面 「薩軍一番大隊小隊長西郷小兵衛戦歿之地」
   右側面 「明治十年二月二十七日歿 享年三十一歳」
   左側面 「昭和十年二月二十七日建立 熊本在住 三州会」