官軍砲兵陣地跡


玉東町二俣・瓜生田(うりうだ);玉東町中央公民館から、二俣へ向けて東へ直進。やがてなだらかな坂が1kmほど続く。途中に小さな地蔵堂がある。ここで左折すれば、突き当たりに石碑がある。
 二俣東は台地になっていて、西南戦争における横平山・吉次峠・田原坂に通じる重要な場所。明治10年3月27日の高瀬付近の戦いに敗れた薩軍は、この後守勢の作戦をとり、吉次峠、田原、山鹿方面に陣を配置して南下する官軍を迎え撃つこととした。官軍は木葉の戦いに続いて、3月4日二俣村に到着した。この日から、官軍は田原坂正面からの主力攻撃を続けるが、一進一退の状況であり、いたずらに死傷者の数のみ増えた。3月7日には、主力攻撃を田原坂正面から二俣正面に変更した。
 官軍はここ瓜生田に砲兵陣地を置き、砲8門の内ここに3門、近くの古閑原に3門、中間に2門を配置して、田原や七本方面の薩軍を砲撃した。多いに戦果をあげるが、大砲は昼は戦闘にあたり、夜は薩軍の奪取をおそれて木葉まで運んだといわれている。