竹田市茶屋の辻にある番所跡
竹田市総合運動公園を見下ろす高台
碑文より
「5月28日、薩摩軍は亀甲台地の陣地から退却。ここ番所より左手方向(胡麻生峠方面)、右手方向(上角口)に別れる。政府軍はそれを追って右手方向へ突進、魔の凹型道路(右手断崖地壁、左手谷底、前方上り城)にて一戦するも左手方向へ逃げた薩摩軍が戻り応戦した。
夜間の切り込み戦の為、両軍の死者の数おびただしく、遺棄された薩摩軍の戦死者は番所脇に埋葬され小高い山となった。これが千人塚である。地元の人は耳塚といって昭和初期まで供養していた」
とある。