熊本県玉名郡和水町岩4150
ここは室町末期天文7年(1538年)横手将監によって創建された旧いお寺だ。寺の境内には南北朝の至徳2年(1385年)道寿禅門を祀った宝塔がある。このことからこの地は南北朝以前から開け、信仰も厚く財力を有する豪族がいたことを証明している。門の軒瓦には細川候の「九耀の紋」が入っている。 この横に下岩官軍墓地がある。
光行寺説明板より
江戸時代は豊前街道の要所として、参勤交代の藩主の「お茶所」となる。長い道中の休憩所として腹切り坂を上下する一行が、一時かごを止めて労を癒したり、ご気嫌伺いの庄屋等から民情を聞いた所である。
明治十年の西南の役には、一時官軍の本営が置かれ、三浦軍司令官や旅団参謀の軍議宿泊の場所となっている、とある。