役古戦場西南の跡


下岩官軍墓地から腹切り坂を越え山鹿口鍋田へ至る旧豊前街道永野原台地
 3月3日桐野利秋率いる薩軍本隊は、南関にある官軍本営を急襲するため車坂を超え永野原に進出、迎え撃つ官軍はこの周辺に砲台を構えて応戦、この間、田原坂方面の薩軍が撤退したとの報が入り山鹿方面へ撤退。しかし、誤報であることがわかり以後、鍋田方面での戦闘が続いた。この誤報は官軍の間諜によるもの、薩軍の伝達の甘さ等が云われているが、この誤報がなければ薩軍は南関を占領し、筑後方面まで進出できたかもしれない。
 一説によると、西南戦争当時、薩軍が車坂の嶮を越え、永野原を突破し、腹切坂を駆け下り官軍を南関方面へ敗走させたと云われている。