薩軍本営跡は熊本隊本営跡から数十メートルの所にある
この本営では一番大隊長・篠原国幹、二番大隊長・村田新八らが軍議、情報収集などを行っていたようだ。
3月4日、篠原が戦死したあとは村田が全指揮を取り、兵を叱咤した。・・元々村田はこの暴発には反対であった。しかし、それ以上に「西郷どんのため」という感情が強かったのだろう。幕末には西郷と共に遠島の刑を受け、互いを慰めあい、明治になっても二人の信頼関係は揺らぐことなく、海外を視察して帰国後すぐに薩摩へ帰った・・・。
彼はこの本営で、海外視察時に購入したアコーディオンを夜な夜な奏でていたと云われている。