南洲墓地;正面にある西郷隆盛墓の右隣。
一きわ名前の彫が深いのが目を引く。
西南戦争後、桐野は全ての戦争責任を負わされ、西南戦争を引き起こした張本人としての評価を受け、「無思慮な人物」、「無教養者」、「荒くれ者」などという悪名高いレッテルを貼り付けられました。
俗に西南戦争のことを「桐野の戦争であった」と称されることがありますが、これは余りにも桐野にとって酷な話だと思います。
西南戦争は、桐野一人が原因で起きた戦争でないことは歴史の事実ですし、また、桐野一人が戦争を起こそうと考えたとしても、あれだけの大規模な戦争を起こせる訳もないのです。
西南戦争が起きた原因は、西郷隆盛を始め、桐野利秋、篠原国幹、村田新八などの薩摩軍関係者、そして、大久保利通を中心とする政府関係者、いずれにも少なからず責任があるのです。