現在の国立南九州病院敷地内
1874年(明治7年)、下野した西郷隆盛により旧鹿児島城(鶴丸城)厩跡に設置された学校で、その費用は「私学校」という名前とは裏腹に、県の予算より支出された。
教務は主に漢文の素読と軍事教練にあった。設立の真の目的は不平士族の暴発を防ぐ事にあったとされる。そのため入学できるのは士族、それも元城下士出身者に限られた。
私学校は「国家のため、天下のため、自らの命を投げ出して、正義を貫く人間をつくる」ことを目的とし、銃隊学校、砲術学校、陸軍士官養成のための幼年学校から構成された。