鹿児島市街より十数キロ離れた、皆与志町比志島地区
川路 利良(かわじ としよし、1834年6月17日(天保5年5月11日) - 1879年(明治12年)10月13日)は、江戸時代後期の幕末から明治時代初期の警察官僚・陸軍軍人。
通称は正之進。雅号は竜泉。名は当初「としなが」と名乗っていたが、後に「としよし」と改名したようである。階級は大警視、陸軍少将(軍職を兼ねる)、位階勲等は正五位勲二等。欧米の近代警察組織の骨格を日本で初めて構築した日本警察の父。西南戦争開戦後、川路は警視庁警視官で編成された別働第3旅団の旅団長(陸軍少将)として九州を転戦、激戦となった3月の田原坂の戦いでは警視隊から選抜された抜刀隊が活躍して薩摩軍を退け、5月には大口攻略戦に参加した後、6月には宮之城で激戦の末、薩摩軍を退けて進軍するが、その後旅団長職を免じられ東京へ戻る。
ちなみに、川路の銅像は鹿児島県警本部前に建立されている。