与倉連隊長戦死の軍服


熊本城内展示
明治10年2月22日午前7時薩軍は総攻撃を始め、城の四方から攻めたものの、攻めあぐね、城内に入ることはできません。23日、24日も同じように激戦が繰り広げられます。最も戦闘が激しかったのが城の西端にある段山方面で、13連隊長の与倉知実はここで重傷を負いやがて死亡した。