陸軍火薬庫跡碑


鹿児島市草牟田
 国道3号線草牟田橋東口交差点より約150mの地点。
 現在の草牟田墓地入口。
 明治10年1月29日、政府は鹿児島県にある武器・弾薬を大阪へ移すために、赤龍丸への搬出を秘密裏に行った。 鹿児島の火薬庫にあった火薬・弾丸・武器・製造機械類は旧薩摩藩時代に藩士が醵出した金で造ったり購入したりしたもので、一朝事があって必要な場合、藩士やその子孫が使用するものであると考えていた私学校徒は、この秘密裏の搬出に怒り、夜、草牟田火薬庫を襲って、弾丸・武器類を奪取した。 この夜以後、連日、各地の火薬庫が襲撃され、俗にいう「弾薬掠奪事件」が起きた。
この報を聞いた西郷は「ちょしもたー」(しまった)と言葉を発したという。
西南戦争勃発の近因となった事件である。