半高山(はんこやま)は、西南戦争で、薩摩軍と官軍が激しく戦った場所である。 玉東町の南側、原倉本村の東に位置し、吉次峠と向かい合っている山である。半高山という意味は、金峰山系三の岳681mのおよそ半分の高さ294mだからこう呼ばれている。
明治10年3月3日、官軍は払暁の濃霧を利用して、この山を不意に襲い、右翼に支援部隊を増加して、山麓の火砲の援護射撃により占領した。しかし、薩将村田、篠原は逆襲して奪回した。4月1日植木方面の交戦がしばらく止んだ。この間、官軍は吉次付近を急襲して一挙に木留を突破して熊本に進出せんと、二俣横平山より前進して半高山頂の薩軍陣地に肉迫した。薩軍もこれを察知して激戦となる。元来薩軍の困るものが3つあり、1つは雨、2つは赤帽、3つは大砲といわれ、赤帽とは近衛兵で、それは近衛兵の勇敢さをいったものである。官軍は 「近衛兵の名誉を汚すな。」と叱咤激励して薩軍に突入した。このため薩軍も遂に木留方面に敗走した。(案内板より)