横平山激戦の跡


熊本県玉名郡玉東町二俣
 横平山は、玉東町の東部に位置する
熊本自然休養林の県指定をうけ、昭和48年県立公園施設設備の一環として展望台が完成。田原坂と隣接し、遠く阿蘇の連峰を望む景観はすばらしく、春から秋にかけてハイキングに最適の場所。
 横平山は標高104mの小高い山で、南の三の岳から吉次峠、半高山と北に連なりその末端に位置する。明治10年の西南戦争ではこの横平山の争奪戦は最も熾烈を極めた。薩軍の切込み隊と官軍の警視抜刀隊の白兵戦の死屍は山を覆い、その惨状は西南戦争の中の三大激戦の一つにあげられる激しいものであった。 明治10年3月4日より二俣口の戦いが始まったが、連日の一進一退の戦況で、3月9日官軍は横平山を占領すれば二俣・七本・田原坂を突破することが容易であると認識した。この日より横平山の争奪戦が連日繰り返され、3月15日、官軍が占領するまで、激しい戦いが続いた。